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クローズアップ
CHICAGO & ボブ・フォッシー page3
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誕生日会で

◆2007年6月4日、青山航士さんは東京で開かれたボブ・フォッシーの後継者であるチェット・ウォーカー氏の4日間の特別ワークショップに参加。奇遇ですが、そのちょうど3年後に青山さんは"CHICAGO"の初日を迎えますね。その時点では"CHICAGO"の日本語版公演のことは一般には知られていなくて、青山さん研究熱心だなあ、と思いながら読んだ記憶があります。
◆ブログ青山航士ブルーマウンテンCafeにもその時の感想がつづられ、クラシック、モダン、ジャズと多様なスタイルを踊りこなす青山さんが「何年もかけて自分のものになるかならないかの世界」と語るフォッシー・スタイル。「いつかこの経験を生かせますように」とありますが、その「いつか」がついに訪れました。一緒に参加された中村元紀さんのブログには86年トニー賞振付賞受賞作品"Big Deal"のナンバーを踊ったと書かれていたので、どの曲だったのか気になり、09年のお茶会で質問してみました。
◆するとやっぱり男性二人のダンスが圧巻の"Beat Me Daddy, Eight to the Bar"を踊ったという答え! この曲は、観客の拍手が毎回あまりにも長く続くので、物語が途切れるのを心配したプロデューサーが削ることを考えたほどの伝説の「ショーストッパー」なんです。あれを青山さんが・・・と思うだけで心拍数upでしたが、今回は"CHICAGOシカゴ"でそんなときめきを味わうことができそうですね。
◆さて青山さん曰く、ウォーカー氏はまったく年齢を感じさせず色気があって、「将来はあんな大人の男になりたい」んだそうです。「こんな風にちょっと動くだけですごくカッコ良くて」とフォッシー独特のティーカップハンドで帽子のつばに指を滑らせる動きを見せてくれたんですが、それがすでに「しぐさ」でなく「踊り」になっていて、本当に魅力的でした。将来の青山さん、きっとウォーカー氏のような男性になっていると思います。

◆フォッシーの生前、ウォーカー氏は直接指導を受けたというより、その仕事ぶりを見ながら多くのことを学んだそうです。なんだか日本の伝統芸能の継承と同じで面白いですね。ダンスキャプテン時代、フォッシーのしていることを理解したくてノートを作り、機会のあるたびにフォッシーの指示の全てを記録。出演者全員のパートを覚え、リハーサル中一人ひとりに対して振付をどう変更したかまで細かく書きとめていくうちに、フォッシーの核となる創造のプロセスを知ったとのことです。
 フォッシーは亡くなる日にも、ウォーカー氏率いるリバイバル版「スティート・チャリティ」の舞台稽古に立ち会いました。仕上がりを見届け、ウォーカー氏に作品を託したフォッシーは劇場を出てすぐに倒れ、帰らぬ人となったのです。キング・オブ・ショービズの真の後継者であるウォーカー氏の指導に触れた青山さんが、"CHICAGO"でさらに表現者としての深度を増すのは間違いありません。

◆さて、青山さんが繰り返し「カッコイイを超えて惚れました」と語るウォーカー氏、幼いころは今なら学習障害と診断されるような子供だったそうです。当時はそんな理解のされ方もケアもなかったので、心ない言葉を投げられながら育ちました。そんなチェット少年が5才のある日、突然エルヴィス・プレスリーのレコードに合わせて内面を吐き出すように踊り始めたのです。それを見たお母さんがダンス教室に連れて行き、今日のウォーカー氏があるとのこと。ビル・ゲイツも普通の遊びには興味を示さず、口も利かないような子供だったのをお母さんが理解し支えたそうですが、けた外れの才能を持って生まれた人は、周りがそのことに気がつくように、他の道に進むことのないように、幼少期にはそれ以外には能力がないような様子を本能的に見せるのかもしれませんね。
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